4月

15th

●有田焼

基本的には、佐賀県の有田地区周辺で生産された磁器の焼き物を有田焼と言いますが、現在は佐賀県の伊万里・吉田地区、長崎県の三川内・波佐見地区などで生産された焼き物も称して有田焼と呼ばれる事もあります。
焼き物は、陶石の品質、焼成温度、焼成時間、焼成後の冷まし時間などにより、器の強度が変わりますので、有田焼の一番の特徴であり、売りでもある強度により、有田焼として区別される事もあります。
有田地区周辺では、主に、旅館・ホテル・料理屋様がお使いになる「割烹食器」や家庭用食器を中心に、花瓶や飾り皿、置物や小物など、幅広く作られています。

4月

14th

●信楽焼

天平時代に聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を造るにあたって、瓦を焼いたのが始まりといわれています。鎌倉時代には水がめや種壷が作られ、室町・安土桃山時代には茶道具の生産が盛んとなり、多くの名品が生まれました。
日本六古窯の1つに数えられています。
江戸時代には登り窯によって、茶壷をはじめ多種多様な生活雑器が作られ、大正時代から第二次大戦前までは火鉢が主力商品でしたが、現在では生活に根ざしたタイル・花器・食器・置物等、土の持つ味わいを生かした製品が作られています。

4月

11th

●伊賀焼

始まりは7世紀後半から8世紀。須恵器という土器も焼かれていて、初めのうちは農業用の種壷が作られていましたが、飛鳥時代には寺院の瓦も作られていたと言われます。
武士の間に茶の湯が盛んになった安土桃山時代の、伊賀上野の藩主が、茶や陶芸をよく知る人物だったことから、茶の湯の陶器として伊賀焼の名は全国に広まりました。その後、江戸時代になると小堀遠州の指導で「遠州伊賀」と呼ばれる厚さの薄い製品が作られるようになります。江戸時代中期には、現在の伊賀焼生産地としての基盤が築かれました。

4月

9th

●備前焼

日本国の六古窯といわれている瀬戸・常滑・信楽・丹波・越前・備前のなかでも、もっとも古い窯です。
須恵器から備前焼となり、無釉焼き締めの伝統を守りつづけて、1000年の間、窯の煙は絶えたことがありません。
 うわぐすりをかけないで、良質の陶土をじっくり焼き締める、このごく自然な、
土と炎の出会い、その融合によって生み出される素朴な、手づくりのぬくもりの感じられる焼きものが備前焼なのです。
 備前では古きよき伝統を守り、昔ながらの登り窯、松割木の燃料を用いて、雅味深い焼き物を作っております。

4月

6th

●砥部焼

平安王朝の古い文献にも、良質の砥石の産地として砥部の地が記されています。
砥部焼きがはじまったのは慶長年間と言われ、朝鮮半島から渡来した陶工たちによって日用雑器類などが作られていたようですが、本当の意味での砥部焼きは、安永六年、杉野丈助によって成功を見た白磁をもって始祖とされています。
やや厚手で、しっとりとした重味があり、白磁の肌に映える呉須絵と青磁物が現在国の伝統的工芸産業の指定を受けて居り、砥部焼き本来の姿と言えますが、様々な陶匠たちの研究と時代の要求によって肌の色も、又色釉の冴えにも巾広いバラエティーが加えられ、現在の姿になってきてます。
いづれにしても、素朴な手ざわりと、しっとりとした味わいが砥部で生れる全ての焼きものの底に流れる言わば砥部焼きの心と言えます。

4月

3rd

●萩焼

萩焼の起源は、400年前、豊臣秀吉とともに朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことに遡ります。
陶工たちは、毛利氏が萩に城を移した時も同行し、李勺光は萩で御用品を焼く窯を開くことを許されました。この窯が萩焼のはじまりとなり、李勺光の死後は、李敬が窯を継ぎ、藩主から坂高麗左衛門の名を受け、その名は現在まで受け継がれています。
萩焼の当初の作風は李朝のものでしたが、その後、楽焼の作風などが加わり、現在の萩焼に通じる、独自の個性を持った作品が焼かれるようになりました。

4月

2nd

●姫谷焼

伊万里、九谷焼とともに日本の初期色絵磁器として知られる姫谷焼の窯跡は、福山市の中心部から約23㎞北西の標高415㍍ほどの山間部に位置しています。この窯跡は昭和12年5月28日付で、県史跡に指定されており、今までに四回の発掘調査がなされている。製品では、白磁・染付・素焼品が大半をしめ、白磁では中皿、碗、鉢、蓋物など、染付では中皿と大皿、碗、鉢などの器種があり、文様は花鳥山水の描かれたものが多い。中には上絵付を意識したものもあり、紅葉文には伝世品の色絵と照合できるものもあります。

3月

30th

●益子焼

益子焼の陶土は土質が粗めで薄く挽いたり、細かい細工をするのは得意ではないのです。また、陶土には鉄分が多いので褐色に発色する傾向にあります。
土の性質が作陶に大きく関わっています。
造形的には素朴で厚手なものが多く、糠白のような不透明な白釉を用いて白化粧しその上に絵付けしたり、全体に柿釉や黒釉、青磁釉を掛けるなどの手法が行われました。
伝統を受け継ぐ一方で、それにとらわれないものなど様々です。

3月

27th

●京焼

17世紀の江戸初期の頃、野々村仁清(ののむらにんせい)が東山区の清水周辺で、「古清水」と呼ばれる優雅で華麗な色絵陶器を完成させました。その後も、仁清の技術を学んだ尾形乾山(おがたけんざん)は兄の尾形光琳とともに、独自の雅陶を創作、食器の製作もあわせて行い、陶器の大衆化を進めました。18世紀江戸末期には、京焼初の磁器が完成され、中国風磁器へと主流が移ります。奥田頴川(おくだえいせん)は、明の磁器を手本として独自の古染付、赤絵など本格的な磁器を完成しました。その門下生から青木木米(あおきもくべい)など純日本風を目ざす立役者を輩出し、今日の京焼・清水焼の基礎を確立しました。

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